遥かなる君の声 V 30

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          30



 大陸の底と呼べるほどもの、冥くて深き岩盤窟にて、今しも開かれようとしているものがある。人が、花や鳥や動物たちが、陽光が齎す暖かな生気によっての祝福と清めを受けた“生”を授かり、流転する“時”に身を任せて親から子へと命をつなぐ、そんな“陽白の世界”へと。何もかもを滅ぼし呑み込む巨大な負の混沌、その名も“虚無”へと世界が全て呑まれて一体化することを目指す、闇の眷属を招こうとする召喚の扉が、今にもその虚口を打ち開けんとしているその間際に立っている彼らであり。

 「く…っ。」

 古刹の神殿を思わせる空間の奥向き、隠し扉の向こうから現れた…かつては炎獄の民を率いし“僧正”と名乗っていた闇の者が、その召喚の術法のいよいよ発動にかかってしまったらしく。宙へと浮かばせた砂時計、グロックスとかいう“道標”を目指しての、本来ならば陽界には忍び入ることさえ不可能なはずの闇の気配“負の気”が、途轍もない濃度でこの岩盤窟へと滲み出し始めている。それが生み出す圧たるや、姿は見えぬが形ある何物かが、こうまで広い洞内でもまだまだ足らぬと窮屈そうに身を伸ばし続けての、もはや はち切れそうになっているかのようでもあって。頑丈そうに見えたこの空間のあちこちからも、ぎしぎしという重々しくも不吉な軋みの音や、どこかが崩れ始めてでもいるものか、ぱらぱらっと降ってくる砂や土が床の敷石に落ちる堅い音などが聞こえて来ており、
「くそっ。」
 少しでも気を抜けば、足元の地べたへと総身を叩き伏せられ、肺腑や内臓を肋骨ごとめりめりと軋ませられての、時間をかけて押し潰されてしまいそうなほど。だが、それが判っていてもと、その注意を差し向けての制止をかけたい、危険な咒を詠唱し始めている者がいる。

  《 クローク・シェルド・ビルツ・ルフ。
    アルフ・グリューネ・シュバリュフ・モナフ…。》

 その色白な額や頬へと、金の髪が躍り上がってははたはたとひるがえり、そのたびに淡い影を様々に落としている端正な横顔。やはり只ならぬ圧を受けながら、それでも淡々と咒を唱え続けている、その白いお顔へと、
「やめろっ!」
「蛭魔さんっ!」
 葉柱が、セナが、せめてその声での制止をと、叱咤するよう、懇願するよう、呼びかけ続けているというのに。そして、そんな彼らの声が、きっと聞こえているのだろうに。周囲の薄暗がりの中に輪郭を呑まれかけている、漆黒の道衣に身を包みし金髪痩躯の黒魔導師殿は、何も聞こえないかのような澄まし顔のまま、ただただ禁忌とされている咒を唱え続けているばかりであり。

 「辞めてくださいっ!」

 それは、どこか途轍もない遠方や別次元の虚無海へでも、彼の身を核にして“扉”を開くことが出来るという“次空跳躍”究極の咒。術者の技能や咒力が高ければ高いほど、強固頑迷な“壁”の組成属性に克つだけの属性へその身を変換させることが可能であり、どんな封印でもどんな“合
ごう”でも打ち破っての移動や脱出が可能だが、それへと支払う対価は…術者の存在そのものだ。

 『悪りぃな。
  ああまでデカいもの、相殺出来る抗性咒を、俺、知らんのだわ。』

 だが、だからといって看過することは出来ぬもの。途轍もない負の気の圧がその荷重をどんどんと上げており、禍々しい光が細かい稲妻のようになって弾けては宙へと躍る。陽世界にあってはならぬ存在が、だが、その威勢でもって強引に割り入ろうとしていることで生じる歪みや軋みが、そんな現象を引き起こしているらしく。そんな中、
「蛭魔さんっ!」
 息を呑んだセナが、せめて…と伸ばしかけた腕を妨げたのは進だ。彼もまた、誰かを護ることをその身に課した人だから。負けん気の強い蛭魔が、なのにその身を楯にするよな手段を選んだ覚悟のほどが、痛いほど判るのだろう。なぜ邪魔をと、責めるように見上げて来たセナへと向けた精悍な顔容を、それは硬い表情で染め上げている彼は、だが、止めてはならぬとその実直な視線でセナを諭してもおり、
「でもっ!」
 セナの上げた悲痛な声に重なって、

   ――― ここぉ………っ、という。

 透明に澄んだ、甲高い声が放たれたのはそんな時。セナが上げた切ない悲鳴へと呼応したかのように上がったその声は、光の公主たるセナの懐ろにて燦然と輝く翼を広げると、その身からはらはらと、純白の羽根を辺りへと舞い上げ始める。
「…え?」
 ささやかな暖かさが、するりと手から逃げての上へと飛び上がり。それを追ったセナの視線が捕らえたのは、しなやかな長い首と細いくちばし、宙へ浮かんで嫋やかな、長くて軽やかな尾羽根をしたスノウハミング。
「カメちゃん?」
 ついさっきまでは仔猫の姿に変化
へんげしていたのに。今、セナの目の前へと現したその姿は、輝かんばかりの純白の羽毛に包まれし、聖鳥としての本来のそれであり。

 《 こ・こぉ…っ。》

 まずは、と。放たれた軽やかに高い一声は、どういう加減なのか…窟内へと反響すると、その後へ しんとした静寂を招き、
“え?”
 丸きりの静かになった訳ではなくて、依然として岩盤が揺らいででもいるものか、ぎしぎしという不吉な岩の軋みの物音は続いているものの、
「…蛭魔さんの声が。」
 不吉さではもっと切実だった、代償にその身を失う禁忌の咒を唱えていた黒魔導師の声が、不意のことながら聞こえなくなっている。咒は言ってみれば大きな力や術を導くための手段であって、呪文として詠唱したり、陣にして描いたり、必要な印を宙へ切ったりという手順でもって、物理的ではない力を招いたり、その身へと取り込み、練り上げて増幅したりするわけで。蛭魔が用いようと構えていた咒は詠唱により発動するもの。だからと…自分の鳴き声にて彼の声を相殺したらしい聖鳥さんは、
「…っ!」
 唇が動いてはいるが声が出ないらしき、金髪痩躯の黒魔導師さんが。それと気づいたそのまま、忌々しげに振り向きざま振り上げた拳を、
《 …。》
 重さなど微塵も感じさせない身ごなしにて ひらりと避けると、それもまた尋の長い翼を開いて皆の頭上へ身を浮かべ、遅ればせながらと駆け寄って来た葉柱をも含めての四人を、その中へと抱き込むように包み込む。
「…これって。」
 聖なる鳥、スノウハミング。聖地アケメネイを頂く霊峰にのみ生息し、穢れに触れただけでその身が腐って蕩け出すとまで言われているほどの、清らかにして聖なる存在であり。だからこその不思議な力を幾つも秘めているというその彼が。負の気が満ちている中、セナたちをその翼で取り囲み、守ろうとしているのではと想いが至って、セナが再びギョッとする。
「カメちゃんっ!」
 それでは何にもならないではないか。その身を棄ててでもと構えた蛭魔と同じこと、どうして彼であるならと見過ごせようか。
「よもや。この翼の輪を使って外へ逃げろと言いたいんじゃ…。」
 そもそも、葉柱が彼を下界へ連れて来たのは、スノウハミングのみが使える“旅の扉”を行き来するためだ。聖なる地アケメネイは、昔 彼らへ使命を託していった陽白の一族が施した封のせいで、そのような特殊な扉でしか出入りが出来ぬ場所でもあったため、それでと連れて来た子であったのが、同じく聖なる存在のセナと出会ったことで色々な能力まで目覚めてしまった…という順番なのだが。そんな彼のそもそもの能力が扉の開封。それを…最大限の力を振り絞って披露してくれようとしているのではないかと、想いが至った葉柱の呟きへ、
「そんなのっ!」
 やっぱりダメったらダメだと、かぶりを振ったセナが…ふと、

  「…っ。」

 その表情を凍らせたのは。内側から見上げた聖鳥さんの翼の一部が、はらりと裂け始めていたのを見てしまったから。
「あ…。」
 陽界の存在には強烈な瘴気でもあろう負の気が充満しつつある空間において、カメちゃんは自分たちよりも、本当は抵抗力が低いはずなのに。こんな…本来ならば陽界にはあり得ないほどもの穢れ、触れただけでも倒れてしまうような痛いものであるはずなのに。早く脱出してと、楯になってくれている優しい子。捨て身の無茶を敢行しようとしていた蛭魔を制止したいと…助けたいとその胸を傷めたセナを想って、聖鳥の姿へ還った彼は、そのまま皆を護るための聖なる力の有りっ丈を発揮しようとしている。此処へと至るまでだって、どれほどのこと、セナを庇っての怪我や怖い目に遭って来た彼かを思うと、
「…カメちゃん。」
 惜しみなく身を呈す彼の、その切ないまでの慈愛の気持ち。セナが自分の胸元を指立てて掴み絞める。その小さな胸がつきりとした痛みを覚えたからであり、声にならない声が小さく開いた口元からあふれ出さんとしかかったその時、


  ――― 彼の額に、銀色の鉱石粒が、ちかりと光った。







            ◇



 ただ永らえているばかりの身を口惜しく思っての一念発起だったのに。今度こそ生まれ出づる“光の公主”を、この手で屠る算段を立て、その栄誉を捧げる相手はかつて冥界で仕えていた虚無一族の長子様、カルラ=ノアール様をおいて他になしと、そんな青写真まで描いての。胸躍る謀略をこつこつと、もう僅かだけとなった“炎獄の民”の生き残り、分け与えた闇の力をそれぞれの親から受け継ぎし、世間を知らぬひよっこたちばかりを引き連れて、最終舞台となろう懐かしい大陸への帰還も果たして。今世に転生した“月の子供”を巡る攻防を、息を殺してまずは見守り。それが…魔族の敗退という結果に終わっての、無事“光の公主”が生まれ落ちたこと、この自分が喜ぶこととなろうとはと。その皮肉にさえ顔が緩んで、喜悦の笑いが止まらなかったものだったのに。

 “殻器とした存在が、選りにも選って陽白の側へと攫われようとはな。”

 進とグロックス、その双方の要をシェイド卿に攫われたことが、今にして思えば瓦解の始まりだったのか。まだ時は満ちてはいないからと、その時が来れば探すのは容易なこと、何なら預かってもりゃやいいとばかり、高をくくっていたことが…こんな形での破綻を招こうとは。

 “だが…。”

 存在したことさえ抹消された悲劇の一族の、古来よりの衣装でもあるのだろう仰々しい僧衣をその身へとまとい、いかにも古木の枝のよに、ごつごつと節槫
ふしくれ立った枯れたその手には、環を幾つも下げた錫杖を握ったその姿が。深き闇を背景に、禍々しい光にて輪郭を縁取られており、高く掲げた錫杖の先には…妖しき赤光をまとったあのグロックスが浮いている。

 《 来たりませいっ、負界の覇王“虚無”様が一子、カルラ=ノアール様っ。》

 もはや後戻りは出来ぬ。もうこんなにもあのお方の気配が近い。こうなればもはや選択の余地はない。この身を殻器として降りていただく他に道はなく、

 《 闇の太守として君臨したまい、陽世界を席巻し制覇なされませいっ!》

 錫杖を振るえば、その先の宙空に浮かぶ、赤子ほどもあろう古めかしい砂時計が揺れる。その内部を妖しき赤い光を帯びた砂で煌めかせ、グロックスが…どくん・という不気味な鳴動を刻む。窟内に充満させし先触れの闇の負の気の膨大さにやっと気づいてか、そして もはや観念でもしたものか、意気盛んな追っ手だった若造共は打って変わって押し黙っており、
《 今更遅い。》
 闇の太守が降臨したまいしその最初の贄として、光の公主と共々に全員を血祭りに上げてくれようぞと、低く濁ってぐつぐつと、泥が泡立つように嗤ったその声を、


  《 天に轟くは、大地に降りし鉄槌、裁定の白刃と雷霆の鉾。》


 引き裂くように遮った声があり。
《 な…っ。》
 ぎょっとして老爺が瞠目したその視線の先、わだかまる薄闇の只中にて ぱんっと弾けたは、白銀の瞬光一閃。傍らに立つ黒髪の導師の肩へと留まらせた純白の尾長鶏が、その見事な翼を震わせながら こぉと美声を奏でれば、
《 そこな老爺。お覚悟なされませい。》
 反対側の傍らに立つ、こちらは金の髪した青年導師がくっきりとした声でそうと通告し。真白きその手へ掲げ持つ、小さな手の持ち主を恭しくも導いて、その歩みを進ませて。
《 ………。》
 内側から発光してでもいるものかと思えるほどもの、それはまろやかな白に満たされし肌をした、一番幼い見目の少年が。表情のない半眼、伏し目になったそのまま、ついと前へ…ほんの1歩を進み出て来たその所作の先で、
《 な…っ。》
 何としたこと、窟内に満ち満ちていたはずの負の気配が、少年の放つ淡い光に圧倒されての蒸散を始めているではないか。濃色の前髪の下、額に宿りし銀の粒鉱石がちかりと光るそのたびに、彼らを包む光の輪はその勢力を押し広げてゆき。漆黒の中にどこやらから差す光がそそいでの明るさ…のようだったものが、彼ら自身が放っている光のその圧で、闇との拮抗を今や負かさんとしているほどであり。多角形の柱の陰影も、幾何学的な精巧さで敷き詰められし壁のタイルも。漆黒の中に浮かび上がっていた時は、何とも禍々しかった存在となって佇んでいたはずが、こうして清かな光に照らされると、こちらの陣営へと味方をしてか神々しき整然さとなって映るから不思議なもの。不思議も何も、闇の気配に侵食を受けていた先程までは、きちいちという軋みの悲鳴を上げていたものが、光が当たった箇所からじわじわと、元通にとなる修復を受けてもいるのだ、健やかな存在へ成り代わるのもむしろ当然かも知れずで、

 《 く…っ。》

 ついさっきまでは、漆黒に塗り潰されようとしていたはずが、目に見えての形勢逆転。これにはさしもの闇の者、魔界からの使者であれ、度肝を抜かれたに違いない。
“…これが、光の公主の力だというのか。”
 陽光などかけらだって届かない、闇が主役の深い深い大陸の底。大地を覆う聖なる気脈も力を削がれ、闇の気配から侵されて、ああまでも…こやつらが手も足も出ないほど薄まっていたというのに。
“それを…っ。”
 そんな場所でさえ、真昼の戸外のような明るさと生気とで支配出来る、無尽蔵なほどもの“白の力”をその身へと秘めた存在。そんな少年が、おもむろに口を開いて、

 《 そのグロックスを、こちらへ渡しなさい。》

 間近に迫りし闇の眷属。よほどのこと、膨大な力を持つ威勢者であるらしく、はみ出した先触れだけでもこの勢い。その出現だけは…陽界への召喚だけは何としてでも阻まねばならぬ。単なる道標に過ぎないグロックスを取り上げて破壊すれば、合
ごうを隔てた負界から降りて来ようがなくなって、その侵入だけでも防げよう。

 《 くぅ…。》

 そんな彼らの狙いが間違ってはいないことを裏打ちするかのように。宗家の僧正なぞと騙りし老爺の顔が、たちまち黒々と染まっての醜く引きつった。あと、あと少しで達成出来たものを。人の一生の比ではないほどもの長年の夢。陽白の要的な存在を滅ぼしての凱旋をし、負界にての栄誉、虚無様の一門として眷属に名を連ね、巨大な混沌をもっともっと充実させる先鋒となるという望みが、あと僅かで叶いそうだったからこそ何とも口惜しくて堪らず、

  《 笑止っ!》

 彼もまた、後がないからこその勢いを、そう簡単には手放さぬらしき闇の者。錫を持たぬ側の腕をぶんっと振り下ろせば、その先から繰り出したは闇の気勢を帯びた刃。先程の光の弾丸を刃に変換したような代物であろう。
「…っ。」
 それへは、進が飛び出して、全てを叩き落としたが、
《 何のっ!》
 この騎士が咒攻撃には…防御は出来ても反射が鈍いと読んだか、今度は錫杖を鋭く振り回し、その残像のことごとくから飛び出させたのは何発もの光の弾丸。闇を切り裂いての縦横無尽、様々な角度高さから襲い掛かる攻勢の群れへ、
「…っ!」
 せっかくの楯という防具を得ていたものの、まだその使い勝手に慣れてはいないことが祟ってか。聖剣の方での切っ先にて全てを叩き落とそうとする進であり、
「あ…っ。」
 取りこぼしの1撃が、彼の肩を切り裂きながらセナへと目がけて飛び込んだ。

  「させるかよっ!」

 そこへと飛び出したのは、葉柱で。腰に提げていた剣を鞘ごと引き抜くと、顔の前へとかざしたその幅にて、光弾を真っ向から受け止める。彼ら導師がその身に帯びる武器や防具といった装備には全て、何かしら咒にかかわる装飾なり象眼なりが施されており、彼の護剣の鞘もまた、咒弾を相殺出来る力を帯びてはいたものの。激しい光が間断なく弾けたその末の、すぐの間近で大きなそれが四散した衝撃が、選りにも選って“彼”の繊細な感応を叩いてしまったか、

  ――― コ・こぉ…っと、怯えを含んでの鋭い声で、

 唐突な鳴き声をあげた聖鳥のその声に、
《 …あ。》
 セナの、小さな肩がひくりと震え、硬く寄せられる。

  《 カ、メ、ちゃん?》

 大切な仲間の上げた悲鳴へと、案じた隙から、集中に揺らぎが生じたか。せっかくの順調に追い詰めてたってのに、彼の放っていた光が仄かに陰りを帯びる。形勢が微妙に転じようとしているものかとそれこそ案じて、
「…こりゃあどうしたもんだろ。」
 葉柱がこそりと呟いた。介添えの青年もまた、セナと同じくトランス状態にあるはずで。片やの騎士殿は…咒や不思議、奇跡の関わる事態へはあまり当てには出来ぬと来て。

  「大丈夫だ。」
  「…え?」

 唐突なお返事にぎょっとした葉柱が顔を上げれば、

 「セナちびには、このまま集中させる。」
 「お前…。」
 「何だ?」
 「えと…。」

 聖鳥さんの上げた声に少々怯みでもしたものか、セナが放っていた光の力がジリと停滞し。それによって、威勢の拮抗バランスが微妙に変わり、それまではじわじわと一方的に圧倒されていたものが、反転するよに闇が再びの威勢を張ろうとしかかっている。その中で…唐突に立った蛭魔の声は、いやにはっきりとしたそれであり。彼だって同じようなトランス状態にあったのに、そこから醒めたということか?
「ちびセナ? …じゃねぇか。」
 んんっと軽く咳払いをしてからのおもむろに、
「公主様。」
 柔らかい声を作って囁きかければ。

 《 …。》

 返事はなかったが、その小さな顎を少し浮かせて、聞いているという素振りを示す彼だったから。
「集中が途切れましたね。でも、大事ないですよ? 皆、無事です。」
 優しい声音で囁けば、
《 …。》
 こくりと頷く優美な鷹揚さは、いつものセナのそれではなくて。
「よろしいですね? 集中を高めて下さいませ。私が紡ぎます咒詞を紡いでの、咒力を高めて下さいませ。」
 エスコートっぷりもお見事な、さすがは策士の“金のカナリア”さんであり、

 《 天翔けるは、天龍。天下るは、天狼。
   光ある者は我の命を聞け。
   鳳凰の翼もて、漆黒墨夜の濁りを全て、吹き払えっ!》

 か細い声での詠唱は、意識が曖昧だからか時折つまずくせいで、なかなか功を奏さないようだが。それでも…彼の額に煌く粒鉱石は、徐々に光を強めてくのが誰の目にも明らかで。

  《 させぬよっ!》

 相手も必死なのだろう、このささやかなる好機を逃すかとばかり。今や悪鬼のような形相と化しながら、錫杖をしゃにむに振り回すと、一番最初に召喚した生っ白いクラゲのような邪妖や、カマキリのような刃を埋め込んだ腕をした、髑髏に生皮張っただけのような怪かしを次々に、地べたから空隙から、その膝下へと呼び立ててはこちらへと立ち向かわせる。一転して慌ただしい乱戦へとなだれ込み、

 「此処にやたらと瘴気が満ちてるからだろな、結構手ごわくなってやがる。」

 先のお目文字ではあの炎獄の民の兄弟が相手をし、あっさりと一掃できた手合いたちだったものが、今度は叩いたくらいでは倒れぬ歯ごたえへと気がついて。とはいえ…咒よりも格闘の方が得手だという葉柱や、当然たる凄腕の進が、その並外れた太刀捌きを駆使しての獅子奮迅の働きを見せており。前衛を固めた彼らを突破し、蛭魔やセナへと接近出来る存在は現れぬままだ。
「でりゃあっ!」
 くせのない直毛を、素早い動きに合わせて肩先やら頬へと散らしつつ、ざっくと薙いだその剣、返す切っ先は跳ね上げて、背丈のある邪妖の高みにある顎を切り裂けば、ずでんどうとのけ反って倒れ込むデカブツが、背後にいた小者らを巻き添えにして蒸散し。なかなかの巧みさが功を奏したと、葉柱の口元へシニカルな笑みを誘って止まず。片や、
「哈っ!」
 聖剣という装備は、持ち主の技量によっては、直に触れないものをまで…その剣戟の圧にて昇華せしめる優れもの。その眼差しもまた、十分な刃として通用するだろう鋭さにて。群れ成す相手を睨み据えての、剛剣の威力は半端ではなく。詰襟に胸には軽い合金のプレーとを提げている…という、常の装束とは少々異なったいで立ちでいることさえ、何の触りにもしないまま、白刃ひらめかせては右へ左へ、妖しき存在を薙ぎ払い。窟内を埋める前にも片っ端から蒸散するから、いちいち数は確かめてはいないものの、相当数の邪鬼らを屠り続けて、それでもまだまだ勢いは萎えて来ぬらしき剛の者な白き騎士殿。軍勢の数の上ではこちらが不利に見えるかもだが、威勢は五分五分、余裕があるのはこちらの方と。そんな形成は崩れぬそのまま、

  「………来たぞ。」

 蛭魔が小さく呟いて。セナの、いやさ、光の公主様の額とそれから、お胸の前へと組まれていた手の少し上。目映いばかりの白光を帯びた咒力の玉が、ぽあぽあと浮かんでいたのである。









 
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  *なんか、とりあえず落ち着けといいたくなるよな終わり方の前話だったので、
   取り急ぎ続きを。
   書いてる本人が一番混乱してました。
(苦笑)

  *それにつけましても。
   あああ、団体戦を書くのは久々なので勝手が違う〜〜〜っ。
   双刀操ってとか、三刀流とかに偏ってましたからねぇ。
(うくくvv)